第2回 東日本大震災報告会 報告

常勤研究員 駒井信勝

智山伝法院では、東日本大震災以降の様々な取組をご報告頂き、被災地の現状を的確に把握し、今後の復興支援の在り方等を考えています。その第二回目の報告会が、平成25年10月28日に行われました。今回の報告会では、震災アーカイブという視点から東日本大震災以降を考えるということを目的とし、「阪神・淡路大震災記念 人と防災未来センター」の高森順子先生を講師にお招きし、≪震災手記をめぐる「被災者」の心情について―手記集を読むことで現れる「二つの問い」を考える―≫というテーマでご講演いただきました。

以下、その要旨を記します。

 高森先生は、小学生の時に阪神・淡路大震災に遭われました。そして、当時、神戸市三宮で印刷会社を営まれていた先生の伯父さまが、震災体験の手記集を出版する市民団体「阪神大震災を記録しつづける会」を立ち上げたのです。その「阪神大震災を記録しつづける会」が十年間にわたり記録しつづけてきた手記集を読み通し、それを分析し、そもそも、被災地にいた人全てが被災者であり、震災が起きた瞬間の出来事が震災体験であるという、震災が前提としていた当たり前の「問い」が、果たして妥当かどうかという問題提起をされました。そして、今回のテーマである「二つの問い」というのは、震災にあった人・震災を体験した人というのは、一体誰を指すのか。そしてもう一つ、震災体験というのはいつの出来事で、どんな出来事なのかということを改めて問い直すということでした。
 まず、「被災者」とは誰かという「問い」に関して、いくつかの手記を紹介し、それらの手記から、そもそも震災体験は一つではないということが読み取れると説明していただきました。社会的な影響の強い「出来事(災害)」が起こると、社会的に共有される「震災体験(イメージ)」が形成されてしまうのです。紹介していただいた手記には、震災には遭ったけれども、家族も友人も皆無事であった方が、その話を他人にすると、震災の社会的イメージと一致しないことにより、がっかりした顔をされてしまうという手記がありました。この手記は、このような社会的に共有されている「震災体験なるもの」に対して抗い、自らの体験を表現しようと試みる様子がみられるということでした。
 次に、「震災体験」とは、いつの出来事に対する体験を指すのかという「問い」に関して、十年間手記を書き続けた方の心情の変化を紹介してくださいました。一年目の手記には、「新しいものが生まれる」というタイトルのもとに、非常にポジティブな文章が綴られていました。しかし、二年目以降の手記は非常にネガティブな文面であり、震災で亡くされたご主人への思いに苛まれる様子が伺えます。そして最後の十年目の手記集には、ご主人に対して、或は会に対しての感謝の気持ちが書かれています。
 先生は、この長期的な心の変遷を辿り、震災直後のものが一番生々しく、本人の思いが全部込められているというのは必ずしも正しくないのではないかと喚起されました。また手記執筆者は、自らの震災体験を解釈するために手記を綴り、その解釈は時間とともに変化をするということと、時が経ったときに聞き取ることで、直後にはなかった語りがあるということを述べられました。
 以上のことをまとめて、先生は震災体験というものは震災が起きた時のことだけではなく、その後もずっと続いているもの、すなわち点ではなくて線であると提言されました。そして、私たちが取り組まなければならないことは「記録をしつづけることで関心をつないでいく」ということなのです。